鞘田空太の迷走

青年は今日も迷走する。

5.たい焼きについて

日たい焼きを食べまして。

 

たい焼きといえば『頭から食べるか尻尾から食べるか』論争が根強く存在してますけど、

 

僕としては尻尾から食べる派ですね。

 

まず全体に占める容積が他の箇所に比べて少ないこと。

 

いきなりクリームが多く入ってる「夢のような」頭から齧り付いたら(僕はもっぱらカスタードたい焼きを好んで食べるのでクリームとしましたが、あんこで考えていただいて構いません。っていうかあんこもJapanese Beans Cream 略してJBCと言えなくもないですから。)

 

だんだん後半にいくにつれてクリームが少なくなるという「人生」みたいなことになっちゃうのが嫌で、

 

早めに甘くない「現実」寄りの尻尾から片付けることで人生の終盤を盛り上げよう…という演出のつもりなのですが。

 

これ統計取ったらタンス預金がすごい老人たちってみんなたい焼きを尻尾から食べるタイプなんじゃないかと、心の中で強めに思ってます。

 

きのたけ論争然り、多くの人がネタ的に受け取ってしまっている食べ物に関する些細な選択って無意識的なところが多い分実は人生全体に通ずるその人のポリシーや人生哲学が滲み出るような気がします。(以下食選ポ)

 

そういえばスタンフォード大学の有名な実験で『マシュマロ・テスト』ってのがありましたね。

 

(雑に要約すると「眼前のマシュマロを食べるのをn分待てば追加のマシュマロがもらえる」場合、我慢して待つ自制心がある子どもの方が後々社会的に成功するというやつです)

 

これなんかはまさに食選ポの好例ですよね。

 

wikiで確認したら、社会的成功というのは限定的な結果で広範的にはむしろ親の年収とか生育環境に相関があるとかないとか…まぁいずれにせよ人生経験とともにその選択が決定されると考えると、食は内なるポリシーを浮き彫りにするという仮説にブレは生じませんが。

 

改めて考えると、食事って人間が味わえる(文字通り)中で一番原始的かつ健全とされている快楽と言えますね。

 

赤ちゃんが離乳食食べて美味しそうに笑ってる姿は微笑ましいですけどコレが他種の快楽によるものだったらちょっと将来が心配になりますもんね。

 

とにかく、食が快楽であるとするならそれにまつわる選択≒人生における快楽との向き合い方なのかもしれません。

 

ううむ、深いな。